脳内世界

ASDと双極と内省。

ついにメンヘラ問題の点と点が線でつながったはなし

幼少期から何らかの欠落感を持って生きてきた。

しかし、それを言語化することはできなかった。

 

しいて言うなら「気持ち悪さ」だろうか。

 

なんとなく子どものころから自分の表情や動作が人とはちがうと感じていて、

滑らかさがなく何をしてもぎこちなさが目立った。

 

運が悪いことに、私にあらわれたアスペ特性ゆえのこだわりは「美しさ」で、

自分の気持ち悪さを許せず、自分を嫌いになり自己肯定感が低下するには時間がかからなかった。

 

自分に自信がないので友達の前でも自分を卑下したり、卑屈に笑いを取りに行くなどして残念なことに早々にピエロとして社会適応する癖をつけてしまった。

 

それは高校卒業まで続き、常軌を逸して厳しい校則や、きちんとした同級生たちや、部活と勉強によるメルトダウンから燃え尽き症候群双極性障害までの経路をたどることになる。大学に入学してからは毎日死にたかったのであまり記憶がない。

 

とはいえどうしてそこまで死にたくなってしまったのか自分でもあまり理解できていなかった。一応いじめられた経験もあるが先生が助けてくれたしいじめっこと和解したし、機能不全家族ではあるものの、毒親...とまではいえない家庭で育ったためどうしてここまで自己肯定感がないのか理解できなかった。べつにくつに画びょうとかいれられたわけじゃないのに。

 

しかし、最近わかった。私は自分のキモさをずっと認めないで生きてきたのだ。

空気が読めない自分も、きちんとティッシュやハンカチを持ち歩けない自分も、ひとつひとつの動作が汚い自分も、協調性がまったくない自分も。自分の醜さを見つめることがいやで、しかも努力しても他人のように美しい言動ができなくて、さんざん人から馬鹿にされてつらかったのだとわかった。

 

原因がわかったところですっきりした。

 

ずっと不思議だった。

わたしよりずっと辛い境遇の人でも楽しく強く生きているひとはたくさんいる。

わたしと彼らの違いは何だろうとずっと思っていた。

 

きっとそれは、「それでも生きよう」という覚悟だったんだと思う。

それでも人生にイエスと言う。それがずっとできなかった。

だからこれからは、気持ち悪くても醜くても、みっともなくても生きようと思う。

なかなかかみ砕いて飲み込むのが難しいけれど。