自己肯定感と自己効力感について個人的な印象を語る
自己肯定感、という言葉を巷でよく聞くようになった。
私がツイ廃だからそう思うのかもしれないし、メンタルヘルス界隈で最近よく扱われているからかもしれない。
いわゆるメンヘラである私、自己肯定感に関する本を何冊か読んだことがある。
しかし、就活時代からお世話になっているメンターのような方に言われたことがある。
「足りないのは自己肯定感じゃなくて、自己効力感じゃない?」
自己効力感とな。
当時は知らなかったのでその場で大体の意味を教えてもらい、後でぐぐった。
「自分にはその物事を達成する能力があると信じる力」
のことらしい。
それを聞いて自己肯定感はたとえるなら「母親の無償の愛情」、自己効力感は「父親の見守ってあげる愛情」に近いのかな、と思った。
※特にジェンダー論的なコンテキストで母親の愛情、父親の愛情という呼び方をしているわけではありません。自分用に分類しただけで大きな意味はありません。
ツイッターで「自己肯定感は、ダメな自分でも悪くないと受け入れてあげることであって、すごい自分をほめることではない」的なツイートを見たことがある。
これが私のイメージする自己肯定感。
頭が悪くても、容姿が微妙でも、弱虫でも、傲慢でも、そんな私でも生きていい。
ダメな自分をまるごと受け入れて愛してあげるのが自己肯定感。
その一方で、自分にはそれをする能力があると信じてあげる、
つまり「お前ならできるよ!」と見守り、叱咤激励してくれるのが自己効力感なのかなあと思う。
落ち込んだ時に自分を自分で柔らかく包んであげること。
立ち向かうときに、自分を自分で叱咤激励してあげること、
両方とも生きていくうえで、とても重要な感覚なのだと思う。
ちなみに、自己肯定感が低いがさらに自己効力感が低い私。
多少しくじっても自分のことを許せるものの、
立ち向かう勇気がないのでただの弱虫になりがち。笑
自己効力感は行動することでレベルアップできるそうなので、
(メンタル界隈では重ねがさね言われることだけど)
スモールステップで行動していけるといいな。
ASDがあるので行動が一番厄介なのだけれどね。