脳内世界

内省の、深い海に沈みこんだときの、asdグレー双極人間のあれこれ。

いまの社会が求める人物像に、近い人間だったらよかったのに。


※三月中旬に書きました。途中で切れてますが、無意味に晒してみます。




こんにちは。

初です。


内定者課題をやっていたところ、突然の鬱に襲われ遅めのお昼休憩をとりながらコレを書いています。


2月中盤からガチな希死念慮に襲われ、

これはもう北海道行ってわんちゃん凍死するしかないな、とか、いや首吊りの方がコスパよさそうだしどっかの木でテキトーにつるかとかいった自殺計画を思い抱いては踏みとどまり、を無限に繰り返していました。


3月になり実家を離れ、一人暮らしを始めて以来少し希死念慮が落ち着いたものの、後遺症なのかなんなのか、最近はお昼になると謎の鬱が襲ってきます。


なぜ2月から、そんなに死にたくなっちゃったのか?自分なりに分析したところ二つくらい浮かび上がってきました。


同じ原因といえば同じ原因なんだけど、まあわけると二つ。


一つは春から就職するとこに対する漠然とした不安。もう一つは自分が社会人になるのに、社会の求める人物像に合致してないということ。今日は少し後者について書いてみようと思います。


日本の今の社会は、戦争で勝ったアメリカに倣って作られた資本主義社会。利益を第一とし、会社同士で戦わなければならない社会。つまり、競争で勝った強者のみが生き残ることのできる社会。


この資本主義社会の枠組みの中で生きていくのに有利なのは、


•外交的

•理性的

•論理的

•打算的


などといった性質を持つ人たち。

意見を上手に伝えられたり、協調性があったり、競争で傷ついても速く回復できたり、自分を世界の中心に持ってこれたり。いわゆる、要領が良くてちょっとずる賢い人が得する社会。


こう書くと、私がまるで今の社会体制に反対する過激な人みたいだけど、そういうつもりはない。今の社会を批判する気はない。それぞれの社会体制はそれぞれのメリットデメリットがあるし。それに、批判する気があったとしても、社会は個人相手で戦うには大きすぎてどうすることもできないしね。


ただ、今の社会が、私のことを嘲笑うかのように私にとって生きにくいというだけである。


たまたま、要領のよいタイプに生まれられた人は比較的生きやすいのだろうが、私のように偶然社会の求める条件と正反対のものを持って生まれた人は生きづらい、例え楽しく生きることができても多大な努力を強いられるのではないかと思う。


よく、ADHDは人間が狩猟を行なっていた時代には優れたハンターだった、というような文章を見かけることがある。


このように、現代に生まれなければもっと生きやすかったであろう人はたくさんいるのだろう。


社会はコロコロと移り変わっていくから、もしかしたら何十年後かに、楽に生きられる時代が来るのかもしれないけど。


悲劇のヒロインぶるなと言われようがなんと言われようが、吐き出したいので吐き出しておく。


いまの社会が求める人物像に近い人間だったらよかったのに、


と。


優しさを持っていてもつけ入れられないような、それを持つことを美徳とする世界線に生まれたらどんなに楽だったことか。


だから私は自分の共感性、優しさを憎んでいる。



ただ、こうは言っているものの、全くもって希望がないかと言えばそうではない。



「今の世の中に私は必要ないのではないか?」

「弱肉強食の世界で淘汰されるべきなのではないか?」


それを否定するのが、.......