脳内世界

ASDと双極と内省。

なんでもそつなくこなす普通の女の子になりたかった。

 

 

思えば、昔から自分以外の誰かになりたい人生だった。

自分が所属していた部活で部長をしていた先輩、しっかり者できれい好きな同級生、かわいくて世渡り上手な隣のクラスのあの子、はたまた部活でリーダーをしていて指定校で某有名私大に行ったあの子、頭がよくて性格もよくて大学卒業後に国家公務員になったあの子、などなりかった人は非常に多岐にわたる。

 

なりたかったんだ。美人ではないけど清潔感があって、地味だけど芯があってしっかりしているーそんな普通の女の子に。

 

よく、人からかわいくなりたかったという話を聞く。

私はどちらかというと、周りからちやほやされるかわいい女の子より、

しっかり者で、そつがないごく普通の女の子になりたかった。

いまだにこの手の女の子にはコンプレックスがあり、話すと緊張してしまう。

 

自分が発達障害傾向持ちだからそう思うのかもしれないが、

女子の世界というのはびっくりするくらいレベルが高い。

忘れ物をしたり、遅刻をしたりといった失敗をしたりする定型の女の子を、私はあまり見たことがない。

細やかな気配りもできるし、いざというときは矢面にも立てる。

私が女子高時代に見てきたのはそんな人ばかりだった。

 

あこがれた。あんな風になりたいと願った。追いつきたくて努力した。

 

 

当たり前のように長期的な友人関係を築きたかった。

長期的な努力をしていい大学に入りたかった。

大学でまじめに勉強して結果を残したかった。

入社後は同期とそつなく仲良くなりたかった。

 

私、もっと頑張りたかった。でも、できなかった。

頭の中は常にまとまらず、頑張れば躁になり燃え尽きて鬱になる、

少しのことで疲れる、自分はなりたい人たちにはなれないと知った。

 

そもそも、人は自分以外のものにはなれないし、自分からは逃げられない。

でも、私は10数年以上、ずっと自分以外のだれか素敵な人になりたかった。

 

そしてまさか、自分のみっともなさを受け入れて理解できるまで、こんなに時間がかかるとは思わなかった。

 

そんな気持ちを、ここに供養します。

 

「言の葉の庭」の救いについて

梅雨入りしてすっかり「言の葉の庭」の季節である。

上映当時は友人と「やばいこれ。絶対新宿御苑サブカル出会い厨が沸くやつやん」という話をしていたのが懐かしい。

 

毎年梅雨になると言の葉の庭を見るという風物詩がある我が家。今年も例にもれず一人で上映会をした。

なので、超超いまさらなのではあるが言の葉の庭の感想を書きたいと思う。

何を隠そう私は新海誠ガチ勢。そして彼の作品の中で一番言の葉推しなのだ。

それは、言の葉が「救い」の物語であるからだと思う。

※以下、ネタバレ含みます。

タカオと救い

言の葉の主人公タカオには、靴職人になりたいという夢がある。

靴職人がどうやったらなれるものなのか私はよくしらないが、

人とは違う道を選択しなければならない大変さがある、ということだけはわかる。

そんな道を選ぼうとしているタカオは、一見大人からすれば夢見がちにも見えるかもしれないが、バイトでお金を稼いで貯金し、靴職人の専門学校(?)のパンフレットを取り寄せ、家事などもそつなく行うしっかり者だ。

若者らしいひたむきな情熱があると同時に、堅実で大人びた部分もあって、それが彼の魅力につながっている。

 

そんなタカオはユキノさんと新宿御苑で出会って仲良くなっていくわけだけれども。

まっすぐで夢しかみていない、ちょっと堅物っぽいタカオが、

ミステリアスな年上の美人にいきなり知らない短歌を詠まれてごちゃごちゃ考えてみたり、

一緒にふざけて笑ってみたり、

足の大きさを測らせてもらってドキドキしたり、

年相応に青少年してるところがめっちゃかわいい。

どことなく謎めいているけど、優しくて大人なユキノさんにだからこそ、

彼をそうさせ、靴職人を目指していることを話すまでに至ったのだと思う。

物語内では言及されていなかった気がするが、タカオが靴職人のことを話した他人って、ユキノさんだけじゃないかな。

夢って、信用している人にじゃないと言いたくないよね。

言の葉ではユキノさんの救いが語られがちだけど、

タカオも同じく御苑での逢瀬によって救われていたはず。

 

ユキノさんの救い

はいきましたユキノさん。

上映当時私は大学生だったが、社会人になってから見返すとユキノさんへの共感がヤバいということに気がついた。

最初は何も明かさず会社をさぼったかのような雰囲気で登場し、

新宿御苑で逢瀬を重ねてタカオと仲良くなっていくユキノさん。

ショートボブが似合う美人で、序盤ではタカオの言う通り

「世界のひみつそのもの」みたいなかなりミステリアスでクールな雰囲気の女性。

年上好き男子はこういう年上女性が好きなのでは???という要素を詰め込みまくったかのような女性。(※個人的な見解です)

タカオも、「あの人にとって、15の自分はガキ」的なことを言っている。

 

しかし、ユキノさん。まあいろいろとアレな方だったりする。

上のタカオの表現に対応し、「27歳の私は、15歳のわたしよりひとつも賢くない」的なことをユキノさんが言うシーンがあって、ここで鑑賞者はまず「おっ?」となると思う。

また、味覚障害のようなものになってしまい、チョコレートとビールしか味がわからない、とユキノさんが元恋人に話すシーンもあり、ここでも同じく鑑賞者は「おっ?」となるだろう。

 

どことなく登場時から陰のある美人ではあったが、

このへんから少しずつユキノさんの陰があらわになっていく。

 

帰ってきてベッドに倒れこむシーン、片付けられていない自室、

落として割れるファンデーションのコンパクト、と不穏な雰囲気を出され続け、

ついに例のシーンに至るのである。

タカオとユキノさんが高校ですれ違って、

タカオがユキノさんを自分の高校の教師だと知ってしまう。

 

そこからはどことなく陰があるユキノさんのネタばらしがはじまる。

 

ユキノさんが国語の教師だったこと。

とある生徒にあることないこと言われ、教育委員会だかPTAだかが出てくるレベルの騒動に巻き込まれたこと。

そのせい(?)で同僚の元恋人とも別れたこと。

また、そのせいで味覚障害のような症状が出ていたこと。

 

なるほど、そうだったのか。となる。

 

で、そのあとタカオと御苑で再会して、豪雨にみまわれたから自分のうちで雨宿りさせるんだけど。

 

そこでタカオに告白されたのに、「ユキノ先生でしょ」って牽制しちゃうのよね。

うん。正しい。生徒と先生なんだから、これ以上どうこうなるというのは不可能だし警察沙汰になってしまう。

 

けどさ、タカオからしてみれば、

あんだけ思わせぶりなことしておいて、ずるいにもほどがあるよな!?

って感じよね。

ユキノさんは制服を見て、うちの高校の生徒だって最初からわかっていたはずだし。

何度も御苑で会ううちに、タカオの気持ちに気づかなかったわけでもないでしょうに。

 

こうやって見てみると、ユキノさんは結構めんどくさい女である。

ほかの言の葉の感想ブログみると、大体「依存心が強くて幼い」とか「めんどくさい」とか言われている。

 

たぶんだけど、冒頭のミステリアスでクールな大人の女性とは打って変わって、

ユキノさんは端的にいえばメンヘラなのだと思う。

 

繊細で内向的で、自分から積極的に発信するのが苦手で、かつ例の事件で精神を病んでしまった人。

だからこそ精神的にあまり強くない私は共感してしまうのだけれど。

生徒からの嫌がらせが飛び火しまくってひどい事態になり、

怖くて出勤できなくなってしまった気持ちも。

帰ってきてすぐベッドに倒れこむ気持ちも。

タカオを見てまぶしく思う気持ちも。

生徒だとわかっているのに、つい話している間に癒されてしまい、

御苑で会うのをやめることができなかった気持ちも。

 

だから、うれしかった。

最後にユキノさんが自分の足で走り出したときは。

 

タカオに

 

「あんたは一生ずっとそうやって大事なことは絶対に言わないで 自分は関係ないって顔してずっと独りで生きてくんだ」って気持ちをぶつけられて。

 

泣きながらタカオにだきついてわんわん泣いて。

 

「毎朝…毎朝ちゃんとスーツ着て学校に行こうとしてたの。でも恐くて…どうしても行けなくて。あの場所で…私…あなたに救われてたの。」

 

って。

 

はじめてユキノさんが。自分のことをさらけだしたり語ったりしようとしなかったユキノさんが。自分の思っていることを自分の言葉で伝えたシーン。

よかったね、よかったね。。。

大人に見えるけど、幼い自分の心の奥の叫びを抑圧していたユキノさん。

ここで毎回泣きます。

 

俺らの救い

ユキノさんが救われると同時に、救われる存在がいる。

それは、数々の新海作品を見てきた戦友たちだ。

私たちは知っていた。新海作品は美しいことを。そして同時に大体悲しいエンドであることを。(例:秒速5センチメートル)

 

だから多くの人が思ったことだろう。

タカオがユキノさんの家から飛び出していったシーンあたりで。

「なるほどな、ああ、そうだよな..新海だもんな...はー映像作品も心理描写もきれいだった....ハア」

 

そして、めちゃくちゃ感動したことだろう。ユキノさんが走り出すあたりで。

「えっ?!バドエンじゃない?!まじか?!おおおおお!?」

と。

 

そう。言の葉のハッピーエンド。ここで多くの新海ファンたちも救われたことだろう。

次に見るときはニコニコで弾幕をうちながら見てみたい。

 

 

同期を大切にしなさい、という言葉に苦しさを覚える人へ

こんばんは。

 

こんな風に特定の要素を持つ誰かに向けて発信するのは初めてなので、

うまく伝えたいことが書けるかどうかわからないけれど....

 

生きにくい系新卒社会人の皆様、いかがお過ごしだろうか。

 

今日で4月も終わり、ゴールデンウィークに突入しようとしている。

5月病が心配だなんて考えず、とりあえず休暇をエンジョイしてほしいなと2年目の私は思う。

 

さてさて、皆さんは入社してから、もしくは入社前に

人を大事にしなさい的なアレを言われたことはあるだろうか。

 

人を大事にしなさい的なアレとは、

 

「同期を大事にしなさい」とか

「先輩とは仲良くしなさい」とか言ったアレである。

 

私は就活時から内定式、入社式、入社後に渡りさんざん言われた。

特に同期を大事にしろは口をそろえて言われた記憶がある。

 

私の会社はIT系でプロジェクト単位のお仕事のため、

簡単に同期に会えなくなってしまうということもあり。

 

また、人生で最後の、横並びの関係が築ける機会ということもあり。

 

利害抜きに仲良くできる人を見つけられる最後のチャンスということもあり。

 

先輩方やお偉い上司の方々は私にアドバイスしてくださったわけである。

 

しかし、私はASD

 

コミュニケーションは苦手だがその中でも横並びの関係なんて大の苦手だし、

「同期を大事にしろ」なんて言われたところでどう大事にすればいいのかわからない。

 

同期は行く先々で助けてくれるぞ、なんて言われてもどうしようもない。

大事にするも何も、この年になっても「そこそこ仲の良い関係性を築く方法」からしてわからないのだ。

 

大事にしたいという気持ちがないわけではない。

感情的な部分でも支えあえる存在がいたほうがいいに決まっているし、

利害関係という点からも助け合える存在がいたほうがいいに決まっている。

 

だが、わかっていてもできない私にとって、

「同期を大切にしなさい」というのは苦しさを覚える言葉だった。

 

人とは大きく異なる感覚を持ち、自己肯定感も低い自分。

みんなと同じように同期と仲良くなろうとしたところで、

変にテンションを高くしすぎてドン引きされたり、

人に合わせすぎて疲れるだけなのだ。

 

なので思った。

 

みんなと同じようにしなければいいんじゃね????

 

そう。

今まで小中高大と何かしら人間関係で苦労してきた人が、

いきなり社会に出てそれを克服できるわけがない。

 

言ってしまえば社会に出る前に克服できていればスムーズなのかもしれないが、

すでに出てしまったものはしょうがない。

 

みんなと比較せず、一歩一歩新しいコミュニティに馴染むしかないのである。

 

これは、私の好きなブロガーさんの受け売りなのだが、

 

新しいコミュニティでいきなり友達レベルの仲良しを作ろうとしなくてもいいのだそうだ。

 

一回だけ話した同期があいさつしてくれた、とか

 

会社の近くのパン屋のおばちゃんが自分の顔を覚えてくれた、とか

 

そういう小さなことでいいらしい。

 

大切なのは、自分が安心できる小さなコミュニティを大事にしていくことらしい。

 

これを読んだとき、なるほど、これなら私にもできそうだ、と思い、

去年は同期と仲良くなることをあまり頑張らなかった。

 

でも、プロジェクト先の先輩や上司は優しいし、

頑張らなくても仲良くしてくれる同期が2人できた。

 

2年目となった今でも、100人近くいる同期のうち98人とはほぼ話したことがない。

しかし、最低限の礼儀だけで意外となんとかなっている。

 

もちろん助け合える人が大いに越したことはないと思う。

ただ、コミュニケーションに難がある新入社員の方々が、

ムリに苦手なことを頑張りすぎて、がんじがらめにならないように、

2年目のBBAは見守っていたいなあと思う。

 

 

 

自己肯定感と自己効力感について個人的な印象を語る

 

自己肯定感、という言葉を巷でよく聞くようになった。

 

私がツイ廃だからそう思うのかもしれないし、メンタルヘルス界隈で最近よく扱われているからかもしれない。

 

いわゆるメンヘラである私、自己肯定感に関する本を何冊か読んだことがある。

 

しかし、就活時代からお世話になっているメンターのような方に言われたことがある。

 

「足りないのは自己肯定感じゃなくて、自己効力感じゃない?」

 

自己効力感とな。

当時は知らなかったのでその場で大体の意味を教えてもらい、後でぐぐった。

 

「自分にはその物事を達成する能力があると信じる力」

 

のことらしい。

 

それを聞いて自己肯定感はたとえるなら「母親の無償の愛情」、自己効力感は「父親の見守ってあげる愛情」に近いのかな、と思った。

 

※特にジェンダー論的なコンテキストで母親の愛情、父親の愛情という呼び方をしているわけではありません。自分用に分類しただけで大きな意味はありません。

 

ツイッターで「自己肯定感は、ダメな自分でも悪くないと受け入れてあげることであって、すごい自分をほめることではない」的なツイートを見たことがある。

これが私のイメージする自己肯定感。

頭が悪くても、容姿が微妙でも、弱虫でも、傲慢でも、そんな私でも生きていい。

ダメな自分をまるごと受け入れて愛してあげるのが自己肯定感。

 

その一方で、自分にはそれをする能力があると信じてあげる、

つまり「お前ならできるよ!」と見守り、叱咤激励してくれるのが自己効力感なのかなあと思う。

 

落ち込んだ時に自分を自分で柔らかく包んであげること。

立ち向かうときに、自分を自分で叱咤激励してあげること、

 

両方とも生きていくうえで、とても重要な感覚なのだと思う。

 

ちなみに、自己肯定感が低いがさらに自己効力感が低い私。

 

多少しくじっても自分のことを許せるものの、

立ち向かう勇気がないのでただの弱虫になりがち。笑

 

自己効力感は行動することでレベルアップできるそうなので、

(メンタル界隈では重ねがさね言われることだけど)

スモールステップで行動していけるといいな。

 

ASDがあるので行動が一番厄介なのだけれどね。

 

 

コンサルもどきもどきの精神障害者が、生きづらさ要因分析してみた。

こんにちは。

 

これまた久しぶりのブログになります。

 

今回は自分の生きづらさについて考察してみました。

私は双極性障害を持っていますが、医師から「診断はおりないくらい軽度だけれどアスペルガーの傾向あるね」と言われていますし、家は機能不全家族気味だし、人間社会で生きていくにはしんどい要素がいくつかあります。

 

大学生のころは発達障害が主に自分の生きづらさの原因かと思っていました。しかし。

ツイッターで同じ障害を持つ人に出くわし、「アレ...?発達障害なのに楽しそうに生きている人がいるぞ!」「わたしとの違いは一体なんなんだ?ポジティブかどうかか?!」などど考え始めたわけです。

 

至極当然のことでありますが、発達障害でも、双極性障害でも、毒親もちでも、今を楽しく幸福に生きている人がいる。

じゃあ私の生きづらさっていったい何なんだ?ということで、今回要因分析をするに至ったわけです。

 

それではさっそく本題に入っていきます。

1.まず、生きづらさを分解してみる。

とりあえず、いろんな要因がまざってごっちゃになっているので、全部細かい粒の単位まで砕きます。発達障害の中のASDASDの中の感覚過敏、さらにその中の気配過敏、聴覚過敏、といったように。

これをほかの要素でも行って、すべて同じ細かい粒の単位にできたら、要素を整理します。

2.次に、分解した要素を整理してみる。

こんな感じで↓

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これはいわゆる「ロジックツリー」というやつです。

マインドマップなんかにもちょっと似てるかもしれません。

(具体的には、要因分析などに使用するので漏れやダブりがあってはならないのがロジックツリーで、アイデア出しに使用するので漏れやダブりがあってもオッケーなのでマインドマップですね。)

 

 

上のロジックツリーの中身に言及すると、いろんな要素が絡まりあって、

生きづらくなっているように思えます。

 

要因を整理できたら、最終段階。

 

3.最後に、どの要素が一番大きな影響を及ぼしているかを分析する

上の分解した要素たちの中で、どれが重要度が高いものかを決めていきます。

(今回は重要度の高さ=私の困り度合いなので、独断と偏見で決めていきます。)

 

うーん、感覚過敏はなんとかなってるけど、社交はマジで無理だし...でも一番やばいのは認知の歪みかな...

 

とかなんとか考えつつ、できたのがコチラ。

 

f:id:tsaettroublebipolaire:20180407160844p:plain

上の表と中身はほぼ同じですが、重要そうな要素に色を付けたものです。

主に対人的な要素と体力的な要素で困っていることが見受けられます。

 

4.生きづらさ要因分析してみての感想

なんというか、うん、うすうす気づいていたことなんですが私の場合はグレーということもあり、発達よりほかの要素がしんどい傾向にあることがわかりました。

 

今回はロジックツリーで一つ一つの要素をぱきっと割って考えたのでこのような結果になったのかもしれないですが、実際は発達も精神疾患も切り離せないものなので、違う方法をとれば違う結果が出るのかもしれませんね。

(とはいえ、白黒はっきりさせたいタイプのASDの方なんかはこんな方法が向いているのかも?と思ったり。)

 

以上、ちょっとした実験的な試みでしたー。

 

 

仏映画、グラン・ブルーに出てくるジャックがASDに見える件について

こんにちは。

もう、何十日ぶりかわからない、とっても久しぶりの更新になります。

が、今日書くことは私がずっとずっとブログで書きたかったことの一つです。

 

フランス映画、グラン・ブルー(別名:ビッグ・ブルー)に出てくるダイバーがASDに見えるという話。

 

(※グラン・ブルーファンでこの内容が無理っぽいなと感じた方、バックお願いします。)

 

グラン・ブルーを知らない人向けに簡単に解説します。

 

グラン・ブルーとは?

「LÉON」で有名なリュック・ベッソン監督の映画作品。

子供のころ海で出会ったお互い潜るのが得意なジャックとエンゾが、

大人になって再会してフリーダイビングの大会で競い合うお話です。

また、ジョアンナという女性も登場し、彼女とジャックの恋愛模様も描かれています。

 

※以下、ネタバレ含みます。

 

おとなしいジャックと勝気なエンゾ、性格は正反対だけど、

何より海とダイビングを愛する友人同士でよきライバル。

ここまでは海がきれいなフツーの映画っぽいですよね。

でも、この二人は海がただ単に好きなだけではないんですよ。

海に完全に「魅せられて」しまっているんです。

 

自分が潜水の記録を更新できなくなると、

もういっそ海で死にたいと思うくらいに。

 

ここまで読んでいただければ想像つくと思いますが、

二人とも劇中に海で死ぬんですよ。自ら。

 

先にエンゾが亡くなって、唯一海についてわかりあえる友人を失ってしまうジャック。

実はジャック、父親も海で亡くしています。

もともと社会になじめるタイプではなく、常に海のみが自分の居場所と感じていた彼。なんと恋人であるジョアンナが妊娠したことを知ってもなお、海底に沈んでいこうとするんです。

しかも、その自殺の手伝いを、なんと彼女にやらせるという。笑

超残酷。。。。

 

「Go, go and see my love」 (行きなさい、私の愛する人よ)

というセリフでジャックを送り出すジョアンヌ。

 

最終的にこの映画は、彼が海に沈んでバッド・エンドで終わります。

 

でもね、わかるんですよ、

私はすごく共感できたんです。

ジョアンナではなく、ジャックの方に。

人間社会に居場所はなく、異世界こそが自分の居場所。

発達障害をお持ちの方なら、なんとなくこんな想像をされる方もいるのではないでしょうか。(これはなんとなく覚えている誰かのツイートなんですが、)

 

あまりに周囲の人と異なる自分。もし自分が宇宙人で、いつか母星の人たちが

自分を迎えに来てくれるのなら、何を捨ててもきっとそちら側へ行くだろうな、と。

 

こちら側の生きづらさにさんざん傷ついた。だから「そちら側」へ還る...

その「異世界」にあたる部分がジャックにとっては海だったわけですね。

 

このラストについては賛否両論

もちろんこんなラストなので映画を見た人たちの意見は賛否両論です。

その中でも、グラン・ブルーの感想を書いてるブログなんかには、

以下のような意見が目立ちました。

 

男のロマンを描いた映画」

男のロマンを捨てきれないジャックをやさしく包むジョアンヌ」

「夢を捨てきれない男に対し、女がやさしく男ってバカねと叱ってくれる映画」

 

男のロマンというワードが非常に多かったです。

ですが、個人的には

どうもジャックが人間世界よりイルカ世界になじめるタイプのASDで、

早く自分のいるべき場所に帰りたいと叫んでいるようにしか見えませんでした。

 

その他、ジャックのASDっぽいところ

発達持ちの方がこの映画を見たらきっとわかってもらえると思うんですけど、

その他にも随所にジャックのASDっぽいエピソードがちりばめられています。

ジョアンナとデートするときもイルカのいる巨大プール、とか海にばかり行くし、

話題も海のことばかりだしこだわりが強すぎます。笑

 

また、相手が妊娠しているのにも関わらず、「海に還りたい」という

欲望を優先させる「他者視点のなさ」もちょっとそれっぽいなと思います。

(さすがにここまでするASD当事者はいないとは思いますが...)

 

人見知りで口下手、数人にしか心を開かないところもちょっぴり自閉っぽいような。。。

 

自分がASDだからそう捉えているだけなのかもしれませんが。

 

まあ、発達にしろ、発達じゃないにしろ、

今自分が生きている世界が自分にとって最適の世界ではないと感じている、

地に足ついて生きてないような「浮遊感」を持っている方は、ジャックに共感しやすいかもしれませんね。

 

 

 

 

アスペルガーグレーゾーンの私が海外留学してみた感想

こんにちは。

発達界隈でちょいちょい話題になる、発達障害者は海外のほうが生きやすいんじゃないか」説。

本当なのかどうかいろんな要素により左右されると思いますが、

数年前に交換留学に行った私が実際に感じたことを書いてみようと思います。

 

ちなみに発達障害者が海外のほうが生きやすいんじゃないか説には、一般的に

こんな理由があるのかなーと思います。

発達障害者が海外で生きやすい?理由】

①空気を読むことを強要されない。日本に比べ率直なコミュニケーションを好む国が多い。

②全体的に日本より大雑把な人が多く、ADHDを持つ人が適合しやすい。

③多様性に耐性があり、マイノリティへの理解がある。

発達障害への支援が進んでいる。

 

実際のところどうなんでしょうね。

 

とりあえず私個人が感じたことを、順を追って書いていこうと思います。

 

発達障害者は海外の方が生きやすいのか?

 

1.空気を読むことを強要されない。日本に比べ率直なコミュニケーションを好む国が多い

うーん。個人的には思ったよりみんな空気読むなあって印象です。

一番意外だったのはアメリカ人(失礼)。あまり社交辞令を言わない印象があったのですが、めちゃくちゃそういうところ気を遣ってきます、彼ら。失礼にあたることはめったに言いません。(私は何度か親しくない人にはタブーとされている話(政治や宗教の話)を世界史が好きで振ってしまったことがあり、しまった~。。。。。状態でした。)そこはあまり日本と変わらない気がします。

ただ、違うと思ったのは、回りくどい言い方をしないところでしょうか。

やってほしいことはこれやって、いやなことはいや、いいものはいい、と

はっきり言ってくれるので、とても助かりました。

 

まとめると、他人が嫌がることは察してくれる、そもそも口に出さない。

けど、伝えるべきことははっきりと伝える人が多いように感じました。

はっきり度合いは、南米の人やフランス人が特に強かったです。ラテン系ですね。

 

2.全体的に日本より大雑把な人が多く、ADHDを持つ人が適合しやすい。

日本人より大雑把な人が多いのは確かだと思いますが、程度が結構違う気が。

さっきも出てきた南米出身の人たちなんかはめちゃくちゃ大雑把で、時間間隔がゆるくて親近感を持ちました。ここで具体的なエピソードを紹介したいと思います。

 

・一緒に遊ぶ約束をし、時間になったのに集合場所に来ないので寮の部屋の前まで迎えに行くとまったく準備をしていない。それどころか全然あせらず、なぞにチョコレートを勧めてくる。

・バスで見せると乗車無料になるカードを頻繁に部屋に忘れる。

そして、誕生日なので見逃してくださいとか運転手に言って、愛嬌でごまかす。

・掃除をしなさすぎて自室にハエを沸かせる。

・マシュマロがかびている。    ...etc

 

なんかもう、ADHDの方を見ているかのようでした。そして、わたしもちょっと傾向があるのでめっちゃ共感しました。

日本のADHDの方は南米に行ったらごく普通の人になる気がします。笑

ちなみにほかの国はどうかというと。

様々な留学生と話しましたが、バスの中でいきなりリンゴをかじりだすなど、

日本人より自由な方が多かったです。笑

 

③多様性に耐性があり、マイノリティへの理解がある。

うーーん。これこそ国によって左右されそうなので、一概には言えないのですが。

少なくとも私が留学したところは「移民ウェルカム!」な国だったので、

マイノリティに非常に理解があるように思いました。(大学でほぼ唯一の日本人状態でしたが、とてもよくしてもらいました。)

ただ、この頃は自分が発達障害かどうか検査もしたことがなかったので

発達障害のことをカミングアウトするような機会もなく、

発達障害への理解がどのくらいあるのか?という疑問までは確かめられないまま留学を終えました....。

 

唯一「発達障害かもしれない」と相談した友人は、落ち着いて受け止めてくれましたが。

 

4.発達障害への支援が進んでいる。

これも国によってまちまちそうですね。

発達障害への支援が進んでいる国として、アメリカが取り上げられることが多いですが...。

発達かどうかに関係なく、「得意」を伸ばそうとする傾向は強そうですけれど。

 

ここまでの結論として。

環境的には海外の方が生きやすそう!な感じはありますね~。

 

※ただし※

海外へ行くことは大きな環境の変化が伴います。

全く知らない新しい土地へ行って暮らし始めるのは日本でも大変なこと。

言語が慣習が異なる場所だったらその大変さもいっそう大きくなります。

よく、海外に行けば変わるよ~!と無責任に移住を進めてくるアフィリエイトサイト

が信用ならないのと同じように、海外に行ったら救われるとか、そういうことはなく、

今までの生活の延長線にあるのが海外での生活なんだなあ、というのが私の留学の感想でした。留学中の方が水が合うな~って感覚はあったけれど、留学したらあれ!?めっちゃ適応できた~!などという魔法があるわけでもないので、そこそこ努力もしました。

 

まあ、ここまでいろいろ考えてきましたが、

今日本で障害と精神疾患を持ちながら生きている私。

もし24年前に留学先の国に生まれ、同じ障害と同じ精神疾患を持ちながらネイティブのひととして生きるという人生があったとするなら、そこ生まれた方が生きやすかっただろうな~という結論に至りました。

 

ただ、移住をするとなるとそう簡単に比較できなさそうですね。

 

おわりっ。